QLD、ジャヤント・パテル引き渡し請求
ドクター・デス事件に解決の兆し
州検察局は地裁から、「ドクター・デス」のあだ名を得たジャヤント・パテル医師の逮捕令状を取った。これでアメリカに同医師の引き渡し請求をすることができ、「ドクター・デス」事件が一方前進する見通しがついた。インド生まれでインドで医師免許を取り、後にアメリカで外科医としての訓練と資格を獲得したジャヤント・パテル医師が初めて疑惑を引き起こしたのは1984年ニューヨーク州バッファロの病院で患者の診断をせずに手術したことが発覚し、処罰された時。1989年にはオレゴン州の病院に移ったが、ここでも医療過誤と奇行ともいえる行動が目立ち、病院側はパテル医師の執刀禁止を決めた。それまでに何人かの患者を死なせ、また不必要な手術も行なっている。2000年にオレゴン州当局はパテルの医療活動制限を言い渡し、ニューヨーク州当局も2001年に医師免許を取り消している。パテル医師はアメリカを逃れてクイーンズランド州に渡り、海外資格医誘致を急いでいた州は身元確認もせずにパテル医師をバンダバーグ基地病院に配属、2003年には外科部長に取り立てている。しかし、パテル医師の失格ぶりと奇行はすぐに明らかになり、病院の看護婦たちは医師を「ドクター大腸菌」と呼んでいた。2005年3月、トニ・ホフマン看護婦の内部告発から野党議員が州議会でパテル医師の問題を取り上げ、花火のように華々しく事件のいっさいが明るみに引き出された。約2年の間に診察した1,200人の患者のうち、87人が死亡しており、30人は確実にパテル医師の医療過誤だとされており、17件の患者死亡事件だけが立件された。しかし、事件発覚直後にパテル医師は、クイーンズランド州厚生当局の負担でファーストクラスに乗ってアメリカに逃亡してしまっていた。この事件で州政府の大臣ゴードン・ナットル議員が失脚している。一般市民にはアメリカでの厚生当局の対応の遅さ生ぬるさ、QLD州厚生当局の失態はほとんど信じられない。(AAP)
文末に(AAP)とある記事は、AAP配信記事の忠実な翻訳であり、日本国内の報道と合致しない記述も含まれています。
|
オーストラリア発最新ニュース
社会のニュース
過去の記事
|