夜明け前からアンザック・デー行事
国内各地、トルコ、フランスで
4月25日のアンザック・デーは、未明からQLD州ブリスベンのアンザック・スクエア、Shrine of Remembranceに15,000人が集まり、1915年のこの日、大英帝国軍のオーストラリア、ニュージーランドの兵士からなるアンザック部隊がオスマン帝国の砂浜に上陸した時刻、午前4時28分に消灯ラップが鳴り響いた。クエンティン・ブライスQLD州総督(次期連邦総督)が参列し、オーストラリアの戦死者への2分間の黙祷を呼びかけた。メルボルンでも暗いうちから市内戦争記念碑に復員軍人や家族が集まり、5時45分から暁の祈りが始まった。シドニーでは、降り続く雨をものともせず、市内マーチン・プレースの追悼碑を囲んで人垣ができ、周辺の通りまで埋めた。午前4時30分の消灯ラッパ吹鳴に続いて豪陸軍司令官マーク・ケリー陸将補が「オーストラリア国家のアイデンティティはガリポリ上陸作戦で確立した」と述べた。シドニーの式典にはケビン・ラッド連邦首相、モリス・イエマ州首相、ブレンダン・ネルソン野党自由党党首の他、マリー・バシア州総督代行キース・メーソン最高裁所長代理が列席。キャンベラでは2万人が参加、豪戦争記念館で午前5時30分から式典が始まった。館では記念碑エリアが開放され、個人の献花が行われた。シドニーの暁の祈りに出席したラッド首相も連邦首都に飛び、午前10時15分からの式典に出席した。SA州アデレードでも小雨の中で式が行われ、WA州パースのキングス・パークで夜明け前から式典が行われた。トルコのガリポリでも記念式典が行われた。軍事的な失敗だったガリポリ上陸作戦から3年後、1918年のこの日はフランスのヴィレル・ブレトニューの戦いにANZAC部隊が参加して同村をドイツ軍から奪回した日でもあり、1000人を超えるオーストラリア人が同地での式典に参加した。(AAP)
文末に(AAP)とある記事は、AAP配信記事の忠実な翻訳であり、日本国内の報道と合致しない記述も含まれています。
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