「最後の絞首刑囚」から40年
オーストラリアの死刑制度廃止のきっかけ
1967年2月3日、ロナルド・ライアンがメルボルンのペントリッジ刑務所で処刑された。ライアン受刑者は、1965年12月9日にペントリッジ刑務所から脱走しようとしてジョージ・ホドソン看守を射殺したとして、、殺人罪で死刑判決を受けていた。処刑以前からオーストラリアでは死刑反対運動が盛り上がっており、処刑前後もペントリッジ刑務所周辺では死刑反対運動のメンバーが反対のために集まったと言われている。勅撰弁護士フィル・オーパス博士は、最後までライアン受刑者の弁護人を務めていた。博士は、「訴訟で負けたことは何度もあるが、依頼人をなくしたことはただの1回しかない。ロバート・ライアンだけだ」と語っている。処刑後の精神的重圧で4年間弁護士業務を中止していた。40年が過ぎたが、今も被告の無実を信じ続け、依頼人の命を救えなかった事実を抱えて生きている。オーパス博士は今も、「ライアンは看守の銃を奪ったのは事実だが、看守の銃創の角度はライアンの位置からは射てない、銃弾は刑務所の監視塔から発射されたものだ」と主張している。ペントリッジ刑務所は1997年に閉鎖されたが、施設は今も歴史建造物として残されており、2月3日午前10時、ライアンの2人の孫、オーパス博士、ブライアン・バーク勅撰弁護士、VIC州ロブ・ハルス法務長官が、最近確定されたロナルド・ライアンの無名墓地で追悼を行なった。州政府のジャスティン・マッデン計画担当大臣は、刑務所内のライアンが埋葬されていると確定された位置に記念庭園をつくると発表した。(AAP)
文末に(AAP)とある記事は、AAP配信記事の忠実な翻訳であり、日本国内の報道と合致しない記述も含まれています。
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