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旭日大綬章、ゴフ・ウィットラムおよびマルコム・フレーザー両元豪州連邦政府首相に−秋の外国人叙勲 - 2006年11月14日 |

▲ゴフ・ウィットラム元豪州連邦政府首相
平成18年秋の外国人叙勲で、ゴフ・ウィットラムおよびマルコム・フレーザー両元豪州連邦政府首相が11月3日、旭日大綬章を受章した。フレーザー元首相に対しては7日、皇居で行われた新授式で天皇陛下より勲章が授けられた。ウィットラム元首相に対しては13日、在シドニー日本国総領事公邸で上田秀明・駐豪日本国大使から勲章と勲記が伝達された。
在オーストラリア日本国大使館の発表によると、両元首相に対する勲章は、日豪友好基本条約署名30周年を記念する日豪交流年の本年に、同条約の交渉を開始したウィットラム元首相と同交渉を成功裡に終結したフレーザー元首相の顕著な貢献に鑑み授与された。今回の叙勲は、両元首相の長年にわたる日本への関与および日豪関係の強化に対する尽力に敬意を表するもので、旭日大綬章は、外国人に対して授与されうる最高位の勲章。
上田秀明大使は「日豪友好協力基本条約が締結された30年前、今日の2国間の力強い友好関係を築くためのビジョンを持ち、非常に重要な役割を果たした先人に感謝したいと思います。今回の叙勲は、ウィットラム元首相が条約締結の実現への非常に重要な貢献を称えるものです」と述べた。
また、ウィットラム元首相は「現在のオーストラリアの外交政策において、(労働党の)私と(自由党の)フレーザー元首相が合意できる問題は1つもありませんが、約30年前、憲法危機(注)の真っ只中にありながらも、日本との2国間関係を強化する日豪友好協力基本条約の締結は超党派の支持を得ました」と語り、政局の混乱を乗り越えて、労働党のウィットラム氏が推進した条約交渉を自由党のフレーザー氏が党派を超えて引き継ぎ、締結を実現したことを強調した。
*注:ジョン・カー連邦総督が1975年11月11日、ウィットラム首相(当時)を解任した歴史的事件。同年、連邦野党自由・国民地方党連合が過半数を握る連邦上院で、野党連合が解散総選挙を要求。ウィットラム氏がこれを拒否したため議会審議が停止し、政治的空白が生まれた。状況を打破するため、通常は政治的権限を行使することがない、象徴的な存在である連邦総督(オーストラリアの国家元首である英女王が代理人として任命)が首相解任に動いた。当時、オーストラリアの政治史上最大の事件と言われた。この結果、フレーザー首相(当時)率いる自由党政権が誕生した
▼ゴフ・ウィットラム元首相
ウィットラム元首相は、昭和46年に労働党の議員団を率いて日本を訪問し、当時の佐藤総理などと会談を行った。首相就任後直後には、日本との間での経済分野を含む包括的な友好条約を作ることに関して、強い意欲を示した。
また同元首相は、昭和48年10月に豪州連邦首相として日本を訪問し、より包括的な日豪間における友好条約(通称「NARA条約」)を結ぶことを約束した。この条約は、結果的にはフレーザー政権時に、「日豪友好協力基本条約」と名を変えて締結されることになったが、ウィットラム元首相の約束がその後の「日豪友好協力基本条約」に繋がる日豪関係の発展の基礎となった。
このほかにも同元首相は、日豪間の文化協定の締結、豪日交流基金設立、日豪閣僚委員会の開催(昭和48年の訪日時に併せ行われた)、日豪間の資源貿易の推進などに熱意を持って取り組んだ。
▼マルコム・フレーザー元首相
フレーザー元首相は、ウィットラム元首相の外交政策を引き継ぎ、日豪をアジア太平洋地域のパートナーと位置付け、2国間だけでなく、地域という枠組みにおいて日豪関係を促進することに努めた。例えば、後のAPECである太平洋経済協力会議(Pacific Economic Cooperation Conference)の開催での協力に当時の大平元総理との間で合意している。
また、同元首相は、現在の日豪友好関係の基盤となった先述の日豪友好協力基本条約を1976年6月16日に署名した。これを機に、同元首相の政権の下では、日豪漁業協定、科学・技術協力協定、ワーキング・ホリデー制度取極、原子力の平和的利用における協力協定と、主要な日豪間取極の合意が次々に実現された。また、豪州連邦政府内に日豪関係の促進を検討する委員会を設置し、日豪関係に従事する民間団体などへの活動支援を行った。
同元首相自身は親日家であり、首相就任以前から豪日議員連盟に所属し、積極的に日本との関わりを追求した。また、同元首相は、8年の首相在任期間中4度訪日し、政界から離れてからも私的に訪日を繰り返し、日豪関係の重要性を強調している。
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